世屋の紹介


宮津市の北西部に位置する世屋地区。

標高600mを超す山々が連なり、その山麓を一帯に5つの集落が点在します。

世屋で一番大きな集落・下世屋(しもせや)26戸、

東向きの急斜面にへばりつくように家が建つ松尾(まつお)4戸、

ササ葺き屋根の上世屋(かみせや)16戸、

都市からの移住でよみがえった村・木子(きご)9戸、

かつての紙漉きの里・畑(はた)15戸から成ります。

 

世屋高原は夏の気温が平地より3ー4度低く過ごしやすい一方、

冬は積雪が2-3mの豪雪地帯です。

2007年の丹後天橋立大江山国定公園の誕生に際し、

上世屋を中心とした一帯が里山としては初めて自然公園の指定を受けました。

さらに上世屋地区は2008年に朝日新聞社の「にほんの里100選」に指定

2009年には京都府景観資産にも登録されました。

また里山ブナ林が広がる丹後半島の最高峰(三角点はないが)高山702m一帯は

2002年京都府自然環境保全地域に指定され動植物の保護が図られています。

 

○ 下世屋

世屋川に沿って家々が立ち並び、

主に田畑仕事を中心に生活が営まれていました。

平坦部が限られているため、耕地を遠方に求めて工作していました。

階段状のため水の確保が大変だったそうです。

藤織りの技術も伝えていました。

また柿や柿渋の加工場を持ち出荷されていました。

 

現在は世屋みその工場、しいたけ乾燥場があります。

旧世屋小学校は、世屋地区公民館として利用されています。

前田農地保全会がアワ、にんにく、こんにゃくの栽培に取り組んでいます。

 

 

○ 松尾

下世屋の対岸の傾斜地にへばり付くように家があります。

かつては雪崩で人が亡くなることあり、かつての東野の場所に家をうつした方もいます。

 

宮津湾を眼下に望む世屋高原旅行村の下に通称「松尾たんぼ」と呼ばれる圃場整備された田が広がります。

「一本桜」も有名で多くのアマチュア写真家が訪れます。

 

かつては石工や桶屋、大工など職人が活躍したそうです。

現在はこんにゃくづくり、祇園祭へのササの出荷に励む若手農家がいます。

 

 

○ 上世屋

すり鉢状の地形に家が集まっています。

周辺には圃場整備のされていない棚田や畑が広がり

独特の里山風景にファンも多い村です。

 

明治41年と昭和19年の大火と、三八豪雪によって離村者も増えササ葺き民家もトタンを被っています。畜産農家があり、ワラをとるために今でも稲木での天日干しが当たり前、バインダーが現役の集落です。成相寺の奥の院とされる観音堂とその後ろの銚子の滝へ有名です。

 

今では、合力(こうりょく)の会、いとをかし、セヤノコ、丹後藤織り保存会、(株)飯尾醸造、宮津市エコツーリズム推進協議会・世屋高山部会が活動を行っています。

 

 

○ 木子

宇川の源流に位置する木子は、かつて50戸を超える集落でした。大正5年と昭和34年の火災、三八豪雪によって離村が進みました。現在では都会から移り住んだ人々によって新しい木子を形成しています。

 

昭和59年からの丹後国営農地開発に伴って木子団地の造成が進められ、昭和63年に世屋地区最大の農地として完成しました。社会情勢の変化と厳しい自然条件によって十分に活用されてはいない状況です。

 

現在はペンション自給自足、木子ファームペンションがあり週末は多くの来訪者があります。

また本来の住民も山や畑の守りにあがってくるなど「木子会」として鍋淵、教念寺跡を守っています。

 

 

○ 畑

豊かな清流の畑川をはさんで家々が寄り添うように傾斜地に建ち、かつての紙漉きの里であったことが伺えます。

背後の谷筋には耕作地が開かれ、集落から少し離れた場所に圃場整備された田んぼ、通称「成たんぼ」が広がります。

 

隔離された環境田のせいか、農協のコメの種を出荷する地域です。

一度は途絶えていたこんにゃくづくりも2010年から再開し販売しています。

紙漉き技術は「丹後紙漉き同好会」によって継承されています。

2012年には小学校跡地が婆爺ニア交流館として生まれ変わりました。